言葉の感覚の合う人。
だれの言葉だったか忘れてしまったのだけれど、
女性作家の人が好きなタイプの男性の話をしていて、
「言葉の感覚の近い人がいい」といってた。
「Aと言ったら、そのままAと通じる人が楽。」だと。
さすが作家やなぁ。と思っていたんだけど、
例えば、「優しい」という言葉を具体的に話すと
「穏やかな人」、「気遣いができる人」、
「弱い立場の人に親切で共感できる人」「親切な人」など、それぞれに思う、優しいがあって、それが意味合いが結構異なっているんだけど、
それに気づかずに「優しい人が好きです」といっても伝わらないのだ。
しかも自分の「優しい」と他人の「優しい」が異なることを普段、気にもとめてない。困ることがないから。
だから、一致してると思いこんでしまう。
だけど、男女で求めることを話すときに、言葉の感覚が違うと困る。
女「優しくしてよ!」男「優しくしてるよ?」
どちらも間違ってない。
そして相手の認識が間違っている、もしくは優しさがたりない。と思ってしまう。
本当は説明不足なのだ。
こういうことはしょっちゅう色んな場所で起きている。
「困った友人のために保証人になる」ことは、優しいかもしれないが、
「困った友人のために保証人になる、優しい人がいい」という人はほとんどいない。
言葉の感覚が遠い人とは、いちいち説明が必要で話すのが辛い。
言葉の感覚の近い人とは、会話がスムーズである。
ストレスが少ない。楽。
盛り上がる会話がしやすい。
作家は言葉によるコミュニケーションに自信があるのだろうが、やっぱり楽はしたいんだなぁと思った。