わたしたち日本人は、意見が対立したときの訓練が足りない。
有名ブロガーさんが殺されるという痛ましい事件があった。
もう散々、いろんなところで色んなコメントやら意見やら記事があるので、
これについて、なんの影響力もなく、知り合いでもない、あやコムが語るのもどうかとは思ったけど、やっぱりモヤモヤするので日記として思ったことを書こうと思う。
なんだか時々、このブログとかSNSの世界とは、
現実の世界とは離れた星のように、本音をぶちまけたり、別人になりきったりするコスプレ空間のように思ってしまうことがある。
顔のない言葉に、体までもないように錯覚してしまうが、
実際には人がいる。書く人見る人。
そして、バレないと思っていても、調べたら現実の世界の住民が分かるようになっている。
誹謗中傷すれば、面と向かって言うのと同じように罰を受ける。
以前、プロ野球選手が、妻の容姿に関して受けたネット上の誹謗中傷を告訴したときは、金持ちこそ喧嘩してくれて嬉しいと思った。
黙って泣き寝入りすることもせず、同じレベルの仕返しもせず、
法に乗っ取って正しいことをして、妻を守るなんてめちゃめちゃカッコイイやないか。と思った。
誹謗中傷は論外だが、
意見の対立することについて、義務教育で恨まない訓練をわたしたちはしてこなかった。
このことは、強く意識しなくちゃいけない。
「連帯責任」を子供におわせることも、
「議論、討論」をさせないことも、
「空気をよませる」ことも
異なる意見を受け入れない訓練じゃないのか。
意見の一致だけが最重要項目として生きていくことが、
日本人の空気を読むアイデンティティーなんじゃないか。
だから「かわいい」とか「ヤバイ」とかそういう、
理由のいらない言葉が流行るのではないか。
かわいいとかヤバイと思う理由は個々で異なるが
「かわいい」「ヤバイ」という意見が一致していることが重要になっているんじゃないか。
意見が対立するときに「アイツ空気よめないよな。」の一言で一掃してきたんじゃないだろうか。
一掃されてきた人間の、住よい場所がインターネットの世界かもしれない。
とにかく面白がってくれる人がいるから。
議論したいと思っているなら誹謗中傷になっていないか気をつけなくてはならない。
自分の思いや考えかたには、ほとんどオリジナルな部分はなく、時代や宗教や流行がもたらしているかもしれないと考えた方がよい。
対立するときは、どちらも正しくてどちらも間違っていることだってある。
よっぽど気をつけなければ非難されたと思う人もいるかもしれない。
わたしたちは、対立する訓練がたりてないと思っていたほうがよい。
意見の相違を、人間の否定と同一に捉えてはいけない。
議論にならない人とは、関わってはいけない。
言葉で説明できない人は手をだす。
暴力的な言葉も、もちろん暴力そのものも、許してはいけない。
ネットの世界は異世界ではなくて、隣の部屋で起きているのと同じくらいの距離感で過ごしている方が無難かもしれない。
なんだか上手くまとまらない。
アイドルでもない、会ったことのない普通の人が、
憎まれて殺されたという事実に、頭がおいつかない。
亡くなったブロガーさんのご冥福をお祈りします。