【要確認】宜しくご教示願います。

前提条件が人と違うようで、会話が成り立ちません。どうしたらよいか教えて下さい。

生きるに値する世界を。

絵本が、だいすきだった。

嘘ばっかりで。

だけど「あなたいるこの世界は、生きるに値しません。」

そう言われているみたいだった。

 

サンタクロースからいいこにしてた証のプレゼントなんか要らなかった。

うちには煙突がないし。

 

わたしという存在がこの世に生まれてきたことと、

今日まで生きていることについて、

一年に一度、たった一言、

「あなたが生きていることが、ただ嬉しい。」と明言してくれたなら、どんなによかったか。

 

人間だから不機嫌な日もあるし、

何でも把握したがるくせに物の所在を聞いただけで

「わたしが知るわけないじゃない」と冷たくあしらわれても、

「あんたなんか役に立つわけないじゃない」と罵られても、

よそはよそ、うちはうちと言いながら、

「あんたの友達のあの子はとても優秀ね」という、

ダブルスタンダードも、

許そうと思えたかも知れないけれど、

別に許さなくていいことなんだと知った。

 

許すもなにも、ただ、間違っていたんだ。

わたしは間違っていることに、傷ついていた。

 

大人になってよかったことは、

相手が間違っていることに気付けることだった。

自分が悪いわけではなかったことに、

気付き、言語化し、立ち向かえること。

もしくはきちんと、逃げられることだった。

だからって傷ついたことはなかったことにはならないけれど、

それでも、大人になるまで生きてこれてよかった。

 

子供が不幸なのは、

選択肢が圧倒的に少ないことだと思う。

 

貧困も、これに似てる。

不自由は不幸とニアリーイコールだと思う。

 

あの頃、欲しいものなんて、どこにも売ってなくて、

でもほしくてほしくてたまらなかった。

生まれたことと、生きていることの、承認。

 

もちろん誰からもそんな承認なんかいらないのだけれど、

わたしがわたしに対して承認してやる必要があったのだと思う。

 

子供のわたしには語彙がなくて、

うずまく絶望的な感情だけが存在し、

「生まれてきたこと」「生きていること」についての原罪や、言葉にできない生まれたての寂しさや、

それでいて、

死ぬことだけは物語のエンディングに書き残されていることへの未知でありながら決定された未来に震えた。

 

明日、死ぬかもしれなくて、

ところが、50年後、死ぬかもしれなくて、

そんなん人生プラン難しすぎない?

 

なんでみんな狂わず生きてんのよ?

 

時々、子供のわたしが心底そう思うので、

「あなたが生きていることがただ、嬉しい」

「尊敬に値する」

「偉い。すごい。素晴らしい。」

 

スタンディングオベーションで、

わたしが生きている今日と、

あなたが生きている今日を、

讃えたいと思います。

 

生きるに値する世界を、

わたしが創造するために。