身内の交通事故で、保険の根本的な説明をした。
水瓶座は他の星座よりも交通事故に遭う確率が高いんだぜ!
水瓶座で薄情者のあやコムだよ★
あやコムの親戚、身内には交通事故で、
それぞれ即死、重体、軽症となった被害者がいる。
そして、あやコムは保険事務の仕事を4年近くしてた。
父が車にぶつけられた。
入院はせずにすんだが半年ほどは働けない状態になった。
父に過失はなかった。
父は「相手の保険の支払いは給与補償と病院の費用だけで納得いかない。損した。」と言った。
叔母が事故に遭った。
叔母をひいてからドライバーはブレーキを踏んだらしく重体だった。
叔母が叔母自身を誰か分かっているのかさえ、医師も身内も判断できなかった。言葉を話すこともなかった。奇跡が起きない限り入院は亡くなるまで続くと思われた。
叔母は専業主婦であった。
叔父は、仕事を辞め、毎日病院へ通った。
叔父は「妻が事故に遭ったせいで、自分は仕事ができなくなった。それなのに、保険会社は僕の給与を補償しないのはおかしい。」と言った。
あやコムは、迷った。父と叔父に対して、どう答えるか。
うっかり、「そうだね。」と言えなかった。
保険関係の仕事をしている人(あやコム)に対して、
一般的な説明を希望しているのか。
いや、すでに相手の保険会社の人が説明しているはず。
近しい関係だから、ただ愚痴を聞いて欲しいのだろう。
でも、同じように愚痴をあやコムだけに言っているとは思えない。
他の家族、親戚にも言っているはずだ。
あやコムは一瞬だけ、迷った。
結論から言うと、あやコムは保険会社の人としての言葉でしか話すことができなかった。
うっかり相手の補償がおかしいなんて言ったら、裁判になるかもしれない。
裁判をせずに交通事故の被害者で得することはほぼない。
補償に納得いかないのなら個人相手に裁判するしかない。
裁判に持ち込む体力と金が必要になるが、彼らが本気ならとっくにそうしただろう。
あやコムは適当に相づちをうって、
彼らを本気にさせてはならないと思った。
だから身内なのにちょっと事情が分かる薄情者として、説明した。
父には「損した」のは、当然であると伝えた。
「もし父が得したと思ったら、詐欺も凄く増えるはず。
保険は、大きく損しない仕組みであって、得するシステムではない。得するシステムにならないようになっているし、得したら、保険会社は潰れる。納得がいかないなら個人相手に裁判するしかない。」
叔父には
「保険は叔母が事故により失った生活を補てんするためにある。祖母が今、一人では生活できないのは明白で、だから入院している。だから入院費、元の生活に戻るためのリハビリ費などの費用は保険会社が払う。
たとえば歯ブラシは事故に遭う前から使用しているものだから入院して新たに必要となっても費用は保険会社は払わない。
事故によって失った損失、支払った費用じゃないから。
もし叔母が仕事をしていたとしたら、事故によって得ていたはずの収入(費用)を失っているのでその補償があったと思う。
事故に遭ってなかったら得られたであろう金額を補償するものが保険。
もしも退院で自宅介護が必要で叔父がすべての介護、もしくは一部を引き受けるなら給与も補償されるかもしれない。
だけど今、病院が介護を引き受けていて、叔父が病院に居なければ叔母が生活できないわけではないから、仕事を辞めた叔父の給与の補償はできないというのが、一般的な保険。特約とかがあれば違うかもしれないけど、基本はそうだと思う。」
ということをやんわりと伝えたが、
やっぱり納得はいってない様子であった。
被害者が損するなんて、納得いかないんだよね。
これが生命保険で自分が契約したものを自分が受けとるならまだ納得いくかもしれない。
(大抵の人は細かい約款を熟読してないと思うし、意味を正しく理解してないものだけど。)
だけど事故の場合、被害者の補償は加害者の契約した保険会社がする場合がほとんど。
当て逃げされて捕まえることができなきゃ全額被害者が支払うほかない。
タダで医者にかかるわけにいかない。
こんな最悪なお金の使い方をあやコムは知らない。
即死だった身内については、
これは被害者だけど保険はおりない案件だった。
酒を飲みすぎて酩酊状態で事故に遭ったから。
被害者はいつだって損。
そしておくるはずだった人生や命に対して
納得いく補償なんてない。
これだけの人間がいるのになぜ、私が。
なぜ、私の大切な人が。
どんな説明も納得いくはずがない。
納得しなくて、当然だ。
人間は、一生をかけて得たもの全てを
いずれ失う物語を生きているから。
他人事だから、助けられることがある。
一緒に苦しまなくても、責めなくてよい。
大切な人が苦しみの中にいたとしても、
元気な自分を、元気な周りの人を責めないでほしい。
自分の事のように考えたとして、
それが相手と一致するとは限らない。
自分だったらこうするという話は聞かれたらするけど、
基本的には無駄話だと思う。
だって人それぞれだから。
大切な人が苦しんでいるなら、一緒に苦しむよりも
何をしてあげられるか?を考えて、
何をしてほしいか聞くのだ。
もし、人手や知恵が必要になったら声をかけてね、と言えばよい。
一緒に苦しもうとすると、
相手を余計傷つけることがある。
「あなたに何がわかるの?」
これ、言われたら何が言える?
薄情者と罵られても
この言葉を相手に抱かせることが、なにより怖い。
臆病者とは、あっしのことよ。